強いばかりが良いのではない

こんにちは。

「強い」とか「大きい」とか「早い」とか、

そっちのほうがいいのかなと思ってしまうことがありますね。

でも、本当にそうでしょうか。

 

強いことが良いことで、弱いことは悪いことなのか。

強い=良い

弱い=悪い

そんな価値観に支配されていると、どんなときも強くなければいけないことになってしまいます。そして、強くない自分を恥じたり、責めたり、そんなことが起こります。

でも、いつでも、どんな時でも強くなければいけない。そんなことはないのです。

 

強さが必要なこともあるし、弱い方が良いということもある。

強いって、どんなことでしょうか。主張がはっきりしていて、誰かに反論されても自説を曲げないとか、ダメージを受けてもすぐに立ち直るとか、そんなことがイメージされますね。

ただ、私たちが社会で生きていくなかでは、実は、強いだけでは生きづらい。あまりにも自分のことしか考えないような、強い主張は周囲から浮いてしまうでしょう。

だから、柔軟さの求められる社会生活の中では、弱さも案外、武器になるということができるのです。

ただ、自分の存在を脅かすようなものに対しては、強い気持ちで当たる必要もあります。つまり、場合によって、強さと弱さの両方を自分のなかで使っていくことが必要なのです

 

「弱さ=悪い」と捉える必要はない。

弱さを「悪いこと」と捉えてしまうと、弱い自分を許してあげられなくなってしまいます。

どんな人でも、休息は必要なこと。張り詰めた気持ちのままで一生過ごすことはできません。

ですから、「やろうとしていたのに、できなかった」ことがあっても、それはあなたの無意識が休息を欲していたのだなと思って、自分の無意識に寄り添うような感覚が大切になります。

そこで、「できなかった自分は弱い」「こんな自分ではダメだ」と考えて、自分を責める必要はありません。むしろ、無意識に「休ませてくれてありがとう」と言うようなイメージを持つと良いと思います。

 

楽器の弦は、張りすぎても、緩みすぎてもいけない。

ひとの気持ちは、まるで楽器の弦のようだと思います。

 

適度な緊張、適度な緩和が大切。

社会生活を送っていると、緊張にさらされている時間が多くなります。そういう状態が長期間続いてしまうと、自律神経の中でも交感神経が優位な時間が長すぎて、自律神経失調の状態にもなりかねません。

弦楽器の弦が、適度な張りでないと正しい音階を鳴らすことができないように、人の心も、適度な緊張、適度な緩和が必要なのです。ここぞというときには、緊張感を持った時間が必要ですが、いつもそうではいけません。やはり、緩める時間を持たなければいけないのです。

 

緩める時間は無意識に任せよう。

自分を緩める時間は、無意識が作ってくれます。

「なんだか理由はわからないけど、今日はもう休みたい」

そんなときは、思い切って休みましょう。

 

ひとは「強さ」だけでは生きていけない。「弱い」ところをしっかり認め、許す。そういうことができると、もっと気持ちの良い生き方ができる。

そんな風に思います。