何かを失ったとき、誰かを失ったとき、そこから立ち直って前を向けるようになるのは簡単なことではありません。しかし、生きるためには、いつまでもそのままでいるわけにもいかないと感じることも確かです。
今回は、そのような喪失感から立ち直るためのヒントをお伝えしたいと思います。
悲しみがこころを豊かにする
流した涙から受け取れるものがある
失ったことの悲しみにくれている最中には、悲しみの涙が自分の心にもたらす影響を考えることは難しいかもしれません。でも、悲しみやその涙が、心にゆっくりとしみこんでいく過程で、私たちは、その悲しみから、何らかの生きる糧のようなものを受け取っていることも確かのように思います。
特に、死によって失われた人を偲ぶとき、その涙は確かに私たちの心をどこか潤すような働きがあるように思います。
悲しみの感情がやさしさを生む
また、私たちはこうした悲しみに接することで、他者に対するやさしさを取り戻したり、穏やかな感情を思い出したりすることもできるのです。悲しみにくれるあなたをやさしく慰めるものはなんでしょうか?誰が、あなたにやさしい言葉をかけてくれるでしょうか?
そのようなやさしい気持ちに触れること、これらは、悲しみを通して得られる感情だともいえるのです。
エピクテトスの言葉
古代ギリシアのエピクテトスの言葉は、喪失の悲しみから立ち直るときのヒントになると思います。
失ったのではない、返したと言うのだ。
エピクテトスは、何かを誰かを失ったときこう考えると言います。
「いかなる場合でも、自分はこういうものを失ったと言ってはならない。そのものを返したと言うのである。-君の子は死んだのか。-その子は戻ったのだ。-君の妻は死んだのか。-彼女は帰ったのだ。」と。
宗教的な天国のような場所を考える必要はありません。
ただ「返した」「戻った」「帰った」と考えることによって、失った誰かの存在をそこに感じながら、不在を受け入れることができる。そんなことができるようになるのではないかと、私は感じています。
そしてこれは、亡き人に対してだけではなく、生きていても別れなければならなかった人との関係を整理していくときにも役に立つ考えではないかと思うのです。
常森さつき