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田口さつき について

わたし自身、相手の目を見るのが怖いという対人恐怖を抱えながら大人になりましたが、さまざまなセラピー手法を身につけることで、不安やいわれのない罪悪感を克服し、幸せを感じられるようになりました。 現在、ステージⅣの乳癌ともつきあいながら、自分で簡単にできるセラピーをお伝えしています。 詳しいプロフィールは「名前部分」をタップしてください。

許すのではなく「憎しみを乗り越える」と考える

許せない人への対応

 

こんにちは。常森です。
小さい頃に、教師に言われたことで傷ついた話は前にも書いたのですが、「許せない人」への対応って、私にとっては、すごく重要なことなんですよね。
でも、ちょっと前から、「許せない人とは、別の次元に行く」という気持ちの作り方をすることで、それを乗り越えてきました。

 

 

マルクスアウレリウスの言葉


久しぶりに『どうしても許せない人』(加藤悌三著)を読み返したのですが、 この中にローマ皇帝マルクスアウレリウスの言葉が引用されています。


「私は今日も、おせっかい、恩知らず、傲慢な者、ペテン師、 嫉妬深い者、利己的な者に出会うだろう。 彼らが皆そうなってしまったのは、何が善で何が悪かを知らないからだ」
この考えも、許せない怒りから私を救ってくれるように思います。

 
 

自分の会社の社員に騙された社長さんの言葉

それから、自分の会社の社員に騙された社長さんの言葉として、こんなことも書かれています。


「あの会計課長は許せ ない。でもたとえ心の中であっても、 ああいう人々とずっと接していれば、自分がもっているエネルギーまでも失う」

 

加藤諦三さんの本の良いところは、自分もひどい差別にあった体験などを引きながら、

 

「本当に自分のことしか考えないずるい人がいる」

「決して許してはいけない悪い人がいる」

 

としながらも、その「憎しみの感情を乗り越えよう!」と語りかけてくれるところです。

 

許してはいけないのに、許してしまって苦しい思いをしている人は、きっとたくさんいるのだと思います。

 
 

怒りや憎しみにとらわれて自分のエネルギーを消耗するなんてもったいない

 

それでも、その怒りや憎しみにとらわれて自分のエネルギーを消耗するなんてもったいない。自分のかけがえのない命を、そんなものにささげるなんてもったいないと説くのです。
そのことに、深く共感しています。


常森さつき

 

 

過去はあなたを縛らない

失ったものばかり気にしてしまう

人生は得ては失うの繰り返し

 

私たちの一生は、何かを得ては失うということの繰り返しのなかにいるように思います。

癌と言う病気になってからは、得られるものの大切さに目が向くようになりましたが、それまでは、どうしても失ったものばかり気にして後悔していたように思います。

そして、一度何かを失ったら、それはまるで永遠に、生まれ変わりでもしない限り取り戻すことができないもののように感じてしまう。そんなことに思い悩む人がいると思います。

 

 

悪魔の誘惑

 

最近、特にそう思うようになったのですが、「サタン(悪魔)の誘惑」というのは本当にあると思うのです。そのときの自分は、悪いものに誘惑されていることに気づけなくて、何かを失ってしまう。そういうことって、きっとある。そして、失って初めて、自分がしてしまったことの重さに気づくのです。

もし、あなたが過去の自分がしたことについて、今、本当に心から後悔しているとしたら、過去のあなたは悪魔の声にそそのかされていたのじゃないかと思います。きっと、そのときのあなたは、本当のあなたじゃなかった。

もし、今のあなたが「これが本当の自分だ」と信じることができるなら、過去のことに縛られる必要はありません。

人の顔をした悪魔にだまされた過去があったとしても、それはもう遠く過ぎていく時間の流れの中に置いていけばいい。これから来る未来に、暗い影などないのです。

 

 

誘惑に負けた自分を許して前に進もう

 

過去のある時点で誘惑に負けてしまったことがしたとしても、今、そのことを悔いているなら、そして、今は違った生き方を選ぶことができているなら、過去の自分をやさしく許してください。

そして、前を向いて進みましょう。生まれ変わった自分として。愚かさを乗り越えた自分として。

 

常森さつき

 

喪失感から立ち直るには

何かを失ったとき、誰かを失ったとき、そこから立ち直って前を向けるようになるのは簡単なことではありません。しかし、生きるためには、いつまでもそのままでいるわけにもいかないと感じることも確かです。

今回は、そのような喪失感から立ち直るためのヒントをお伝えしたいと思います。

 

悲しみがこころを豊かにする

流した涙から受け取れるものがある

 

失ったことの悲しみにくれている最中には、悲しみの涙が自分の心にもたらす影響を考えることは難しいかもしれません。でも、悲しみやその涙が、心にゆっくりとしみこんでいく過程で、私たちは、その悲しみから、何らかの生きる糧のようなものを受け取っていることも確かのように思います。

特に、死によって失われた人を偲ぶとき、その涙は確かに私たちの心をどこか潤すような働きがあるように思います。

 

 

悲しみの感情がやさしさを生む

 

また、私たちはこうした悲しみに接することで、他者に対するやさしさを取り戻したり、穏やかな感情を思い出したりすることもできるのです。悲しみにくれるあなたをやさしく慰めるものはなんでしょうか?誰が、あなたにやさしい言葉をかけてくれるでしょうか?

そのようなやさしい気持ちに触れること、これらは、悲しみを通して得られる感情だともいえるのです。

 

 

エピクテトスの言葉

古代ギリシアのエピクテトスの言葉は、喪失の悲しみから立ち直るときのヒントになると思います。

 

失ったのではない、返したと言うのだ。

 

エピクテトスは、何かを誰かを失ったときこう考えると言います。

「いかなる場合でも、自分はこういうものを失ったと言ってはならない。そのものを返したと言うのである。-君の子は死んだのか。-その子は戻ったのだ。-君の妻は死んだのか。-彼女は帰ったのだ。」と。

宗教的な天国のような場所を考える必要はありません。

ただ「返した」「戻った」「帰った」と考えることによって、失った誰かの存在をそこに感じながら、不在を受け入れることができる。そんなことができるようになるのではないかと、私は感じています。

 

そしてこれは、亡き人に対してだけではなく、生きていても別れなければならなかった人との関係を整理していくときにも役に立つ考えではないかと思うのです。

 

常森さつき

 

過去の自分を許すことから始めよう

今の自分の状況を見て、「こんなはずではなかった」と「もっと良い人生が送れたはずなのに」と、過去の自分に対して後悔の気持ちを抱くことがある人に、こんなことを試してほしいと思います。

 

自分の選択の正当性

過去の自分がしたこと、選んだ道、それが今の自分の人生を決めている。それ自体は、間違いではないでしょう。人生には無数の選択肢があって、そのどれを選ぶかで違った人生があったかもしれない。その無数の可能性は確かにあったのかもしれません。

今の自分に満足できないのは過去の自分の選択のせいだとしても、では、あなたの選択は間違っていたのでしょうか?

 

過去の自分の「命」が、その時の正解を選んだ

人生の選択が何歳の時になされたものであったとしても、それは、その時のあなたの「正解」だったのです。

その選択は、あなたの「命」がおこなった選択だったと言い換えてもいいでしょう。

つまり、もし学生の時のあなたが勉強しないで別のことにかまけていた日々を送っていたとしても、親の言いつけに従わず、大きな会社に就職しなかったとしても、それは、あなたの「命」が、そのほうが「生きながらえる」のに良いと選んだ道だったのです。

 

あなたの選択は常にあなたの命に対して正しく行われている

「いや、そんなことはない。あの時、誰かが正しく自分を導いてくれたら、自分はもっと良い生き方ができたのだ」そんな風に思いますか?

誰も過去に戻ってやり直すことはできませんから、証明することはできないのですけれども、私は、状況が違ってもやはり同じ選択をするのではないかという気がします。なぜなら、その選択は、あなたが生きることに直結することだから。

あなたの無意識が、あなたをより生きながらえる方向に導く選択をするなら、きっと同じ選択をするのではないか。そんな風に思います。

あなたを生かせておくために、命(無意識)はいつも正しい選択をしています。

でも、だったらどう考えればいいのでしょう。自分が抱えるこの後悔の念とどう付き合ったらいいのでしょうか。

 

過去の自分に対する見方を変える

過去の自分が正しく選択したのに、でも後悔してしまう。それはなぜでしょうか。

 

あなたの自分への評価は厳しすぎていませんか?

それは、多くの場合、自分への評価が厳しすぎることによって起こります。

あなたは、「やろうと思えばできたのにやらなかった」ということに後悔しているのかもしれません。でも、本当に「やろうと思えばできた」のでしょうか。

それをやらないこと、その時頑張らないことで守られていたことがきっとあるはずです。あなたは、何かをしないことを選んだことによって、たぶん、あなた自身を守ってきたのです。

さあ、ここで、自分が「これさえしていれば」と思う内容をしなかったことで、守られているものは何かを考えてみてください。

 

過去の自分を許そう

そうです。あなたは、何かをしない選択をすることで、あなた自身を守ってきたのです。

だから、あなたの選択が、もし「甘え」のように感じられるとしても、どうぞ、甘やかして許してほしいのです。あなたは、あなた自身を守ることを必死に選んできたのですから。

 

自分を甘く許すことが幸福への道につながる

等身大の自分を許すことができるようになると、気持ちがすっと落ち着いて、焦りやプレッシャーから解放されます。そうすることで、周囲の人への気持ちも穏やかで優しいものになっていくのです。

そのような気持ちのありようが、あなたを幸せへと導いていきますよ。

 

常森さつき

 

 

明日は今日とほんの少し違えばいい

「今日も何もできなかったなあ」と、ため息の出る日があります。私も、体調に波があって、ちょっと具合が悪いと寝てばかりになってしまうことがあって、そうすると「ダメだな」と落ち込みます。

でも、だからと言って、ずっと落ち込んではいません。それはこんな風に考えるからです。

 

今日と明日はつながっているけれど、別の一日

確かに、今日と明日はつながっています。でも、今日ダメだった結果が、明日に影響を与えることはありません。

 

明日というのは、これから来る未来

なぜなら、明日というのは未来だからです。未来はこれからやってくるのであって、何も決まっていないのです。どうなるかは、明日にならなければわかりません。

よく、過去に自分が行ってきたことが未来に悪い影響を与えているように感じてしまうことがあるようですが、私はそれは誤りだと思っています。

未来は何も決まっていない。過去の事柄が未来を決めたりしません。

 

「時間は未来から過去へと流れる」と考える

時間に関する捉え方を変えると、多くの悩みを手放すことができるようになります。

普通、時間軸をとらえるときに、多くの人は「時間は過去から現在、そして未来へと流れていく」と考えていると思います。でも、こんな風に考えることはできないでしょうか。

「未来は時とともに現在となり、現在は時とともに過去になる」

こんな風に考えると、時が自分の目の前からどんどんと過ぎていくのが感じられるのではないでしょうか。そして、未来から流れてくる時間には、過去の要素など全くないことに気づくこともできるでしょう。

 

今日できなかったことが、明日すべてできなくてもいい

このように、時間が未来から流れるならば、明日は全く新しい一日になります。そうだとするなら、今日の失敗も全く明日には関係ない。だから、明日は新しい一日として、生まれ変わろうと思うかもしれません。ただ、その時に、今日の失敗を明日、すべて挽回しようと思う必要はないのです。

 

一度に挽回しようとしない

新しい一日に、今日の失敗をすべて挽回しようとすると、その試みはほぼ失敗するでしょう。意気込みだけが空回りして、結局何にも手がつかなかったということもあり得ます。

そうすると、「やっぱり自分はダメな人間だ」「自分がうまくいくことなどないのだ」という気分になってしまいます。これでは、新しい日が何度やってきても、失敗してしまう可能性は高いのです。ここで、とても大事なのは、

一度に全部挽回する、一度に何もかも達成するということを目標としないということなのです。

 

少しだけ前進する

明日の目標は、今日とは少しだけ違ったことをするということに置きましょう。

明日は今日と少し違えばいい。そんなに違った日にならなくても、少し違えばいいのです。その違いが、積み重なってだんだんとあなたを新しい場所へ導いてくれるのです。

 

常森さつき

 

 

 

自分に価値がないと思えるとき

誰かとの関係で、自分には価値がないんだと思い込んでしまうことがあるかもしれません。

そういうときには、その人の気持ちを追いかけることだけにフォーカスしてしまうものです。

今回は、そういうときの対処法について書いてみたいと思います。

 

他者の自分への気持ちが感じられないとき

夫や恋人などパートナーの場合もあるし、友達、兄弟姉妹などの家族のこともあるでしょうが、もし、あなたが誰かに評価されないと自分には価値がないと感じているなら、それは間違いです。

 

夫や恋人の愛情が感じられないとき

例えば、夫や恋人が自分に関心を持ってくれない。言葉をかけてくれない。メールやLINEに返信がないなど、そういう状況が続いていたら、不安になるのは当然だと思います。

「この人は、もう私に愛情を感じていないんだ」そんな風に思ったら、自分の立っている場所が崩れてしまうような感覚を味わうこともあるかもしれません。

 

家族が自分に何の心配もしてくれないとき

例えば、癌などの大きな病気にかかったとき、家族や友達が心配して声をかけてくれる。そういうことが普通なんだろうなと思っていたのに、誰も声をかけてくれない。

そんなときは、なんだか自分が何者でもないような気持になって、腹が立ったり、情けなくなったりすることがあるのだろうと思います。

 

その関係が、自分にとって本当に大切なのか考えるチャンス

恋人や家族の愛情が感じられなくなったとき、それは、その関係性を見直していける大きなチャンスと言えます。

私自身がそうでしたが、癌患者になった私に積極的な励ましをくれた人もいたし、なんとなく疎遠になった人もいました。

元気な私ならよくて、病気の私には関わりたくない。そんな相手なら、病気の私はその人と関わらないでおこう。単純にそう思います。

 

ある特定の人の関りが自分の価値を決めているのではない

誰かが自分に関心を持ってくれなくなったこと、そのことが、自分の価値を貶めているように感じてしまうことがありますが、そうではありません。

 

他人の評価を自分の価値だと思わないこと

誰かが、あなたに関心を持たなくなったとしても、それはあなたの価値とは関係がありません。あなたは、これまでと変わらないのに、誰かがあなたともう関わらないと決めたとしても、それはあなたの価値と関係がありません。

 

その人との関りで得ていたものへの執着を捨てる

特定の人との関りを止めること、それは簡単なことではありません。

ただ、その人の愛情、関心を取り戻したいという気持ちの中には、その人と恋人である、夫婦であるという関係のなかで得ていたものを失いたくないという気持ちが含まれていないでしょうか。

よくよく考えてみて、どこかにそういう気持ち、執着心があると気付けたら、それを捨てたらどうなるか、考えてみましょう。そこにどうしても捨てられない何かがあるなら、その関係を続けてもいいけれど、そうでないなら、関係を終わらせる気持ちの整理がつくでしょう。

 

相手の立場で相手の気持ちを考えてみる

ここまでのプロセスでも、まだちょっとモヤモヤしている人は、一度、相手の気持ちを考えてみることをお勧めします。

 

相手になり切ったつもりで考える

このときは、自分の立場で相手の気持ちを考えるのではなく、相手の立場に完全になり切って相手の気持ちを考えてください。

例えば、LINEで自分が「○○?」と打った時に、相手ならどう応えるかを考えます。

あなたがどう応えてほしいかではありません。相手がどう応えるか、あの人ならきっとこういうとき、こんな風に考えるということを思い描いてほしいのです。

そうすることで、相手の今の気持ちが理解できるということがあります。

 

納得できる応えが得られたら、そこから新しく出直すことができる

相手の気持ちを理解することができれば、そこから今までとは違う新しい関係が始まるかもしれません。

逆に、理解しても、受け入れられない応えなら、関係解消に進むのかもしれません。

 

どんなときも、あなたはあなたでいることに価値がある

人は一人では生きていけないのだけれど、でも、だからといって、他者の評価ばかり気にして生きていては、自分の人生を生きていないことになってしまいます。

あなたは、あなたでいることだけで、価値がある。

だから、誰かの関心があろうがなかろうが、それとあなたの価値は関係がないのです。

 

新しい関係に出会うこと

古い関係を整理して、違う世界に目を向ければ、新しい出会いも必ずあると思います。

我慢して誰かの関心をつなぎとめるのではない、のびのびとした関係がきっと待っている。

そんな風に思います。

 

常森さつき

 

たまには弱音をはいてみる

こんにちは。

ひとりで何でも解決しようと頑張ってみても、なんだかすっきりしない、気持ちがどんより曇ったような感じということがありますよね。そんなときの解決方法のひとつをお伝えしようと思います。

 

弱音をはく

「えー。そんなの嫌だよ」という声が聞こえてきそうですが、この「弱音をはく」ということには、かなりの効用があるのです。

 

弱音には効用がある

「弱音の効用」

それはどんなことかと言うと、あなたが自分の弱音をはいた、打ち明けた相手から、「私にも似たような経験があるよ」という話が聞けるということなんです。

あなたから話を聴いた誰かは、ほとんどの場合、自分の過去の体験のなかで似たような思いをしたことがなかったかなと探すことをしてくれます。そして、「私のときはこうだったよ」とか、「私もこんな目にあったことがあるんだよ」という話をしてくれるのです。

今まで、その人がそんな目にあっているなんて、気づいていなかったかもしれません。でも、自分自身が何かを打ち明けることで、その相手の体験を聞くことができるのです。

 

 

他者の体験を聞くことが、自分を救うことにつながる。

弱気になっているとき、へこんでいるときに、誰かの「私もそんな体験をしたけど、こんな風に立ち直ったよ」というような話を聴くことは、たいへん励まされるものです。

何かに思い悩んでいるとき、とても孤独を感じます。自分を理解してくれる人は、結局いないのではないかという気持ちになりやすいのですが、こうして自ら、自分の悩みをオープンにすることで、孤独ではないことが確認できるのです。

 

 

悩んでいるのは自分だけじゃない

自分だけじゃないんだという気持ちは、今の自分の立ち位置を明るく照らしてくれます。

そうすると、前に進むエネルギーが自分の内側から湧いてくるのを感じることもできるでしょう。

 

 

悩みは置いて前に進もう

悩みの原因は、「人」であることが多いものです。もし、あなたの悩みも「人」が原因ならば、そういう人とは、物理的に距離を置き(無理なら精神的にでも)、あなただけ前に進んでしまいましょう。

 

置き去るのがポイント

その場合、「置き去る」のがポイントです。置いて、去ったら、もう振り返らない。

あなたを苦しめるものと、いつまでも一緒にいてはいけません。

 

 

手放したら、明るいほうへ

置き去って手放したら、明るい未来があなたの前からどんどんやってくるのを感じましょう。きっとキラキラした光に包まれることでしょう。

 

 

常森さつき

 

 

 

強いばかりが良いのではない

こんにちは。

「強い」とか「大きい」とか「早い」とか、

そっちのほうがいいのかなと思ってしまうことがありますね。

でも、本当にそうでしょうか。

 

強いことが良いことで、弱いことは悪いことなのか。

強い=良い

弱い=悪い

そんな価値観に支配されていると、どんなときも強くなければいけないことになってしまいます。そして、強くない自分を恥じたり、責めたり、そんなことが起こります。

でも、いつでも、どんな時でも強くなければいけない。そんなことはないのです。

 

強さが必要なこともあるし、弱い方が良いということもある。

強いって、どんなことでしょうか。主張がはっきりしていて、誰かに反論されても自説を曲げないとか、ダメージを受けてもすぐに立ち直るとか、そんなことがイメージされますね。

ただ、私たちが社会で生きていくなかでは、実は、強いだけでは生きづらい。あまりにも自分のことしか考えないような、強い主張は周囲から浮いてしまうでしょう。

だから、柔軟さの求められる社会生活の中では、弱さも案外、武器になるということができるのです。

ただ、自分の存在を脅かすようなものに対しては、強い気持ちで当たる必要もあります。つまり、場合によって、強さと弱さの両方を自分のなかで使っていくことが必要なのです

 

「弱さ=悪い」と捉える必要はない。

弱さを「悪いこと」と捉えてしまうと、弱い自分を許してあげられなくなってしまいます。

どんな人でも、休息は必要なこと。張り詰めた気持ちのままで一生過ごすことはできません。

ですから、「やろうとしていたのに、できなかった」ことがあっても、それはあなたの無意識が休息を欲していたのだなと思って、自分の無意識に寄り添うような感覚が大切になります。

そこで、「できなかった自分は弱い」「こんな自分ではダメだ」と考えて、自分を責める必要はありません。むしろ、無意識に「休ませてくれてありがとう」と言うようなイメージを持つと良いと思います。

 

楽器の弦は、張りすぎても、緩みすぎてもいけない。

ひとの気持ちは、まるで楽器の弦のようだと思います。

 

適度な緊張、適度な緩和が大切。

社会生活を送っていると、緊張にさらされている時間が多くなります。そういう状態が長期間続いてしまうと、自律神経の中でも交感神経が優位な時間が長すぎて、自律神経失調の状態にもなりかねません。

弦楽器の弦が、適度な張りでないと正しい音階を鳴らすことができないように、人の心も、適度な緊張、適度な緩和が必要なのです。ここぞというときには、緊張感を持った時間が必要ですが、いつもそうではいけません。やはり、緩める時間を持たなければいけないのです。

 

緩める時間は無意識に任せよう。

自分を緩める時間は、無意識が作ってくれます。

「なんだか理由はわからないけど、今日はもう休みたい」

そんなときは、思い切って休みましょう。

 

ひとは「強さ」だけでは生きていけない。「弱い」ところをしっかり認め、許す。そういうことができると、もっと気持ちの良い生き方ができる。

そんな風に思います。

 

 

新しい自分になるために

今の自分の状態について、

「こんなんじゃだめだ」

と思ってしまうことがあると思います。

 

本当の自分、真の自分の姿を求めて、いろんなことを試している人も多いと思います。

 

例えば、本を読むとか、何かの講座を受けるとか、またカウンセリングやセラピーを受けるとか、いろいろな方法を通して、本当のなりたい自分になるための努力をしている人はとてもたくさんいると思うのです。

 

ただ、そういう努力を続ける中で、「やっぱりどうもうまくいかない」と感じることもまた、多いのではないでしょうか。

 

そう、せっかく本を読んで納得しても、講座を受けてその時は「変われる!」という自信を持てたとしても、少し時間が経つと、また元の気持ちに戻ってしまうことがあるのです。

 

「その原因は何か」それは、

あなた自身の無意識が、元の状態にあなたを引き戻している。

ということです。

 

「そんな馬鹿な!?」と思う人もいるでしょう。

自分が望んでいることなのに、自分自身が(無意識ですが)それとは反対の働きをするなんて、納得できない人もいるでしょうね。

 

でも、無意識というのは自分では意識できない心の領域ですから、自分ではコントロールが効かないのです。

 

つまり、

 
無意識が「自分のなりたい方向」と同じ方を向いてくれなければ、どんな努力をしても結局、元に戻るということが起きるのです。

 

では、なぜ無意識が自分の希望と違う方向を向いてしまうのかということですが、無意識の役割で一番大事なこと、それは、

 

「無意識は、あなたの命を守っている」

ということです。

 

つまり、どんなに努力をしても元の状態に戻ってしまうとき、

あなたの無意識は、あなたが選んだ理想の姿が今の自分の命を守ることにつながらないと認識してしまっている

ということなのです。

 

これは、困った状態ですね。この状態は普段の生活の中でもよく起こるのですが、このあなたの無意識を変えていく方法はありますから、それを今日はお伝えしていきましょう。

 

無意識を変えるために日常生活のなかでできる方法とは

最もやりやすい方法として、自分の望む状態をありありと思い描くということがあります。

これは、簡単なようですが、真剣に取り組む必要があります。命を守る無意識に、あなたの希望をわかってもらうことが必要ですから、とてもまじめに取り組まなければなりません。

例えば、こんな風にしてみましょう。

 
あなたが「こうなったらいいな」という状態を具体的に思い描いてください。 

このとき、できるだけ具体的にイメージすることがポイントです。

 

例えば、もっと大きな家に住みたいというのであれば、家の形やデザイン、建っている街の雰囲気、自分の部屋にある家具はどんな風なのか、壁の色はどんな風なのか、玄関から入って間取りはどんな風なのか、そういうことを本当にそこにあるかのように思い描くのです。

 

ただ言葉として、「幸せになりたい」「お金持ちになりたい」「恋人がほしい」と思っているだけではダメで、

 
幸せの中身、お金持ちになっている状態の中身、恋人と一緒に過ごしている生活の中身を、今そこで起きているかのように感じていくことが大切です。

 

そして、これが最も重要なのですが、そういうイメージを思い描いているとき、

 

同時に自分の中にある

「嬉しい記憶」

「楽しい記憶」

「心地よい記憶」

を思い出していきます。

 

このように、

あなたの希望の中身と心地よい記憶を組み合わせて自分のなかにアンカリングすること。

これができると、あなたが行きたい方向を無意識にも認めてもらうことができます。

 

人は、いつからでも変われる。新しい自分になれるのです。

だから、ぜひ、試してみてくださいね。

 

常森さつき

 

 

どうしても自信が持てない人に

何かしようとしても、どうしても自信がなくて先に進めないということがあると思います。

では、自信がないということの原因は何なのか考えてみましょう。

 

準備ができていないという場合。

このことを解消するには、準備作業を始めればいいだけなのですが、なぜかやる気が起きなかったり、別のことに手をつけて、肝心のことがおろそかになったりするということがあります。

 

起こりうる問題点を考える

その場合、今やろうとしていることを実行したときに起こる可能性のある「問題点」を考えてみることをお勧めします。

 

なぜかというと、もし自分がそのことを実行すると自分に何らかの支障が起こりそうだと無意識が判断している場合、どうしても実行する方向に気持ちが行かないことがよく起こるからです。

ですから、今、「自信がなくて進めないけれども、本当はやりたいと思っている」その内容が、実現したときに起こること、良いこと、悪いこと、すべての可能性を考えてみてください。

あなたは、無意識にその結果を避けている可能性があるのです。

 

他者の価値観を自分の潜在意識下に取り込んでしまい、自分の価値を認められなくなっている場合。

(これについては、⇒「 自分の中に取り込んでしまった他者の価値観を捨てる という記事でも書いているので、参考にしてください。)

これは、幼い頃に親や教師などの大人からかけられた言葉によって、自分の価値を認められなくなってしまっている場合です。

 

自分自身がこのことに気づく必要がある

この場合は、そのことにあなた自身が気づくことが非常に重要になります。そして、それに気づくことができれば、「どうして今まで、こんなことで悩んでいたのか!?」と思うようになるでしょう。そして、自分の本当の価値に気づくことができるはずです。

 

何をしても上手くいかないような気がするという人は、2つめの他者の評価を内在化してしまっている可能性が高いと言えますから、一度、そんな経験がなかったか考えてみるのもいいでしょう。

あなたの価値を貶めているような他者の視点があるなら、ぜひともここで捨ててほしいと思います。

 

常森さつき